上町川の御所野にあります。 後醍醐天皇の追治(大内)皇子をこの地に移そうとして、菅家の人々はここに御所を造営しました。 不幸にして皇子はまもなく亡くなられましたが母親の広橋の局は神鏡・宝器・皇子の御衣などをここに移され月日を送られました。 このことをきかれた天皇は社にし、「日吉山王宮」という神号を贈られました。 本殿は明和6(1769)年の建立です。
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