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山伏の霊地「女人禁制の滝山」~通称「お滝さん」と呼ぶ

那岐山の峰続きにある滝山は四十八滝があり、その中腹には滝神社が祀られています。
裾野にひろがる日本原高原は明治42年陸軍演習場となり近藤・是宗の村などは移転し、今は自衛隊の演習場となっています。

この滝神社は昔より霊験あらたかで雨乞いの祈祷も行われ「お滝さん」とよばれ、多くの信者が「蟻の熊野詣で」の如くお参りが続いていました。

また津山城の森公も丑寅の鬼門に当たる守護神として崇め、石の宝殿を神社の岩室に奉納安置されました。

祭神は伊邪那美の女神と熊野那智大社などから勧請した神様を含めて滝大領権現ともよばれていました。

さて、この滝山は山伏たちが修行した霊地であり、彼らは険しい山々を信仰し荒行を積み重ねたので修験者または法印ともよばれ、陰陽道や仏教、神道などを合わせた山岳宗教をひろめました。

東粟倉村の後山は西の大峰とよばれ行者(山伏)の霊場として西日本屈指の道場でありました。

今でも女人禁制の結界地として厳守されています。

この峰続きにある滝山も霊地として山伏たちが跋渉し、修行のさまたげになる者として女性の入山を禁止したのも当然のことでした。

その証(あかし)として「従是女人結界、奥之院」と書かれた石柱が滝山の入口にあり、また山伏たちの先覚者であった「役(えん)の行者」の石像が那岐池堤防下にあり、いずれも建立年代は不明であるが滝山全体が修行の霊場として尊崇されていました。

明治6年政府により山伏たちの修験道は廃止となり、滝山の入口にあった岩室山寺尾寺(別当寺)もなくなり僧侶も還俗(げんぞく)し、神仏習合の姿がなくなりました。

滝山は、今なお原生林がうっそうと茂り昼なお暗く、吉井川の原流として、苔むす岩間を流れる。

清きせせらぎ、野鳥の声を聞き、石仏を拝し、また植物野草の宝庫ともよばれる古道をたどりながら往時の女人禁制の歴史を想い、その秘境を「六根清浄(ろくこんしょうじょう)」と唱えながら参拝すると、おのずからひきしまる思いがします。

近隣では勝間田神社にある役行者大菩薩の石碑、勝北町坂上の円万寺にある役木像並びに石碑、山形の道に建つ大峰山上講の碑など各地に山岳宗教の姿をしのぶことができます。

ふと思い浮かべたのが、鳥取の摩尼寺の入口に「不許葷酒入門内」の石柱が建っていたことを。

(奈義町文化財保護委員 二宮晧朔記)

※『マイタウンかつた』第137号(山陽新聞販売店会/平成12年6月発行)から転載。
※本文の掲載にあたり、山陽新聞販売店会から許諾をいただきました。

滝結界1滝結界2
※写真:女人禁制の石柱と碑文(左・拓本) 

 

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