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最終更新日時:2021年7月27日
横仙歌舞伎の自慢は江戸時代以来途絶えたことのない伝統です。
奈義町中島東地区には江戸時代の歌舞伎舞台「松神神社歌舞伎舞台」では今でも年に一度公演が続けられています。
横仙歌舞伎のオリジナル外題「源九郎狐と初音の鼓」(左)「泣笑孝行鏡」(右)
日本各地には多くの地下芝居の保存団体が活動を続けています。
特に埼玉県の秩父地方、岐阜、愛知県にまたがる美濃地方は、多くの保存団体がひしめき、保存会の規模も大きく日本の地下芝居のメッカとも呼べる土地です。
西日本は地下芝居の少ない土地です。四国は阿波の人形芝居に代表される人形浄瑠璃が盛んで、岡山県をはじめ中国地方、九州地方は元々「神楽」の盛んな土地です。
このような中、岡山県北、特に東作州と呼ばれる地方には地下芝居の伝統が残ったのでしょうか。江戸時代、吉野郡と呼ばれたこの地方の村、19ヵ村は“天領”または“幕府領”と呼ばれる幕府の直轄地で、生野代官所(現在の兵庫県朝来市)に管理されていました。そのため、役人による取り締まりが藩領に比べて手薄で、自由に地下芝居が行えたのが理由のひとつと考えられています。
横仙歌舞伎は江戸時代の発祥以来途絶えたことのない伝統を誇ります。
事実、横仙歌舞伎には他の歌舞伎やプロの歌舞伎とも違う独特の演出が伝わっています。
もしかすると横仙歌舞伎は江戸時代の人々が楽しんだ地下芝居を現代に見られるのかもしれません。
また、奈義町中島東地区の松神神社には江戸時代の歌舞伎舞台「松神神社歌舞伎舞台」保存されています。弘化3年(1846)に現在ある場所から少し離れた場所に建てられ、大正時代に現在の場所に移築されます。昭和38年岡山県重要有形民俗文化財に指定されています。
精巧な造りの廻り舞台が残り、地元地区の皆さんにより改修が重ねられ、現在も4月には横仙歌舞伎が上演されています。
松神神社歌舞伎舞台で、横仙歌舞伎を観るとまるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚になることでしょう。
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